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ある腫瘍放射線科医から提供された、素晴らしいセカンドオピニオン
以前訪れたある大学病院の中央放射線部には、廊下に
1枚のかなり大きな絵が飾ってあった。
夏の空を仰いで明るく描かれたそのひまわりの絵は、かつてこの大学に学んだ医学生たちの手によるものであるという。
絵をこよなく愛するあるひとりの医学生が大学を卒業したとき、一期下の彼らから贈られたものであるらしい。
放射線科の廊下・・・。癌とたたかう人たちが多く訪れる、まさに命をかけた闘いのこの場所を、この絵は大きく明るく照らし、彼らの心の中にも希望の花を咲かせようしているのである。
「ひまわり」という映画音楽がある。映画の内容は知らないが、音楽は「ひまわり」という名に似合わず、哀調を帯びたマイナー・キーの美しいメロディーである。
そのメロディーとこの絵がひとつになって、私の心の中にも美しい花を咲かせようとしてくれているような気がした。
平成14年の春、ひしひしと迫り来る父の最期を否定しつつわずかの光も見出せない闇の中で苦しむ私に投げかけられたひとすじの光が、ある医師から提供を受けたセカンドオピニオンだった。
その光は、父と私の心の中にも一輪のひまわりの花を咲かせようとしてくれた。
花は決して咲くことはなかったが、懸命に咲こうとしたその最後の力は、勇気に満ちたものであったと信じている。
私は、もはや治療の選択肢がなくなった父のために、新たな別の選択肢を求めて、父を治療してくれる病院と医師を探していた。しかし父のような状態では、もはや診察どころか問い合わせに対するまともな回答すらもらえないことがほとんどだった。
そんな中で、今の父の状態で何が可能であるか、少しでも最善の治療に近づける方法は何か、あらゆる可能性を模索し、的確でしかも勇気づけられるセカンドオピニオンを提供し続けて下さったのが、某大学の腫瘍放射線科医であるR先生だった(radiology:放射線医学 からRの字を取って、勝手ながらここではこう呼ばせていただくことにした)。
先生は、大学病院という閉鎖的な「白い巨塔」の中にありながら、常に患者第一の治療環境をお考えになり、ときには闘い、ときには冷静な目で医療を客観視され、常に問題意識をお持ちになって物事に取り組まれている医師である。
先生からいただいた多くの言葉は、私だけが独り占めするべきものではなく、多くの、病気と闘う人たちやその人たちを支える人たちの足元を明るく照らしてくれるものと確信して、先生に特別にお赦しをいただいて、ここに一部を掲載させていただくに至った。
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1.初めての問い合わせと回答(14.3.28/3.29) |
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問い合わせ(14.3.28)
○○大学様
突然のメールで失礼致します。○○市在住の□□と申します。
温熱療法(ハイパーサーミア)に関するあるホームページで、そちらの大学に「サーモトロン-RF8」が導入されていることを知りました。
私には、癌を患った74歳の父親がおりまして・・・・・(中略)。
1.他県からの診察・治療を受け入れて下さるかどうか。
2.年間どのくらいの症例を(温熱療法で)治療されているか。
3.治療の効果はどのようなものか。
などについてお教えいただけないでしょうか。
回答(14.3.29)
1.他県からの診察・治療を受け入れています。
2.年間症例の正確な統計はありませんが、50例ないと思います。
3.効果については、個々の状態によって違います。根治的よりも姑息的に用いられることが多いです。
4.一般的なことはネット・書物で・・・(中略)。
5.個人に合った治療をお考えでしたら詳しい情報をお送りください。担当と協議いたします。
6.その際、治療に何を期待されるのかわかれば、アドバイスしやすいと思います。
あちこちの病院へ問い合わせをしても、いつもなら門前払いなのに、特に「5.」のところを読んでうれしくなった。少しでも希望を持ちたいと思った。 |
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2.経過の説明と、それに対する回答(14.3.30/3.31) |
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これまでの経過について(14.3.30)
平成7年7月から現在までの、父の病気の経過をお話させていただいた。(中略)
父は、慢性膿皮症から発生したと思われる、肛門近くにできた皮膚癌(有棘細胞癌)で、そけい部リンパ節と肺への転移があります。
余命はあと数ヶ月と言われていますが、ずっと耐えている激しい痛みをとり、少しでも癌の進行を抑えて延命できないものかと思って、何か手立てはないかと探しております。
詳しいことをお話しすれば、担当の先生とご協議下さるとのお言葉、大変うれしく思います。
一度もお目にかかったこともない者がいきなりメールを差し上げ、そこまでご厚意に甘えていいものかどうかわからないのですが、今までの経過を書かせていただきます。
以下に経過を詳述。
R先生のご意見(14.3.31)
メール拝見いたしました
0、契約: もし○○さま(代理含む)がこちらの病院へこられるならば、診療契約を結んだことになります。いまはご相談の段階です。私は当職としてのべます。
1.経過: 経過はよく理解できました。
2.余命: 余命については、どの意味かよくわかりません。あるいは最悪でという“対応的説明”かもしれません。放置すると、ということではなかったですか?
たとえ2年でも、あるいは3月でも短いとかんがえるなら緩和ケア部(こちらの病院では)の介入をおすすめします。
3. 肺: 実際、肺転移はどの程度あるのでしょう。1個だけ、あるいは数個以内なら、肺腫瘍への定位的放射線治療の方法で5日/1個ほどのコースでつぶせます。
この治療については、全国でおそらく7−8以上の施設でおこなわれています。ただし今後、発生する転移を予防するものではありませんので、転移元の病巣などに対する対策も大切です。
また、他のところに転移はありませんか?
4.放射線治療: われわれのところでは、骨盤のなか、肛門の近くでのもう少し放射線の利きにくい癌(痛みが強い)の再発に放射線(小線源治療)を用いた除痛治療を行っています。外部照射を十分な広さに対しておこなったあと施行しています。
成績などは本日土曜日、また○月の学会で発表する予定です。これには温熱治療はしていません。その病気ではたくさん肺に転移のある方でも自宅で平均1年ぐらいだったようにおぼえています。他の方の成績はさらに良好でした。ただしこれは人によっていろいろですから一概にはいえないです。
もし、そちらで治療され、希望される場合は、そちらの先生と御相談させていただきます。
5. 抗がん剤: たいていの場合ほとんど効果がありません。
1)感受性の強い場合、
2)強力な治療、
3)動注で毎日行う と効果が現れやすいです。腫瘍の全例で完全消失をみた疾患もあります。
6. MSコンチン: その経過でMSコンチンをつかうことについては異議ありません。
老人の場合は、食べなくなったり、便秘になったりしやすいので、うまく導入していけば大丈夫です。
それでもきかないときは神経ブロックをします。下腹神経や仙骨神経をブロックすることが多いです。神経浸潤のある場合はMSコンチンが利かないことがあり、その場合でも多くは放射線治療が奏功します。
7. 移植:皮膚のない状態で、顔ですが、2例照射しました。
これは通常はしないことですが(つまり常識的ではないです。我々は皮膚科の先生と協議して、理屈で考えてそういう方針になったのです)、結果をみると期待通りよく、あとの再建がうまくいったので、いまは、腫瘍部分切除後の場合には中途半端な(?)再建的な移植を完成しないうちに(場合によっては肉がむき出しであり、審美的でなく、心理的抵抗があるかもしれないけれども)、その状態で放射線治療をしたほうが成績はよいのかもしれません。
8. 温熱治療: オプションとして考えて下されば結構です。一般には主軸にして展開すべきものではないです。
9. ○○大学の放射線科の先生なら教授の先生を含めて何人かは存じ上げています。いい先生ばかりです。私のメールを受け取ったことと、その経過、メール内容は、お見せいただいて結構です。そのせつにはよろしくおつたえください。
10.□□大学にこられる場合、
(ア) 他府県の方も多く、歓迎しています。
(イ) 病棟は空いています。
(ウ) 事前に紹介状を作成してもらう必要があります。CTなどの写画像もお願いします。
(エ) 事前に住所などを予約センターに連絡して置いていただく必要があります。
(オ) 医師の担当日は固定されていますが、例外はあります。事前に連絡ください。このメールで結構です。あすもチェックいたします。
R先生からのメールを読んで、私はすぐには信じられない気持ちだった。
父を診察してくださるという先生がみつかったなんて・・・うそみたいだ。
父が体を動かせる程度に痛みを抑えることさえできたら、きっと連れて行ける!
でも・・・実現させるためにはクリアしなければいけない問題が多く、結局・・・。(つづく) |
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3.モルヒネの副作用・痛み・肺転移のこと(14.4.2/4.2) |
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R先生へ(14.4.2)
非常に詳しいご回答を頂き、ほんとうに感謝しております。
父にも話しましたら、大変喜んでおりました。でもやはり、今すぐにそちらへ行くのは無理なようです。本人の気力の問題に加えて、私自身が他にも病人を抱えていること(実は母と姉も、病気です。)、付き添って行く者を決めることなど、何とかしようと思ったのですが、どうしても難しいです。
その上、今夜遅く主治医の先生からお電話を頂き、父が錯乱状態になっているので止むを得ず強い睡眠剤を投与し、きょうにも精神科の先生の診察を仰ぐことにしたとのことでした。
抗癌剤を投与した翌日にも、わけのわからぬことを言ったので驚いたのですが、すぐに治まりました。今夜は、廊下を歩き回ったり、大声を出したり、またわけのわからぬことを言ったそうです。
父はずっと個室で一人で寝ていて、1日に2時間位しか一緒にいてやれないので、ICU症候群に似た症状とも考えられるそうですが、MSコンチン(モルヒネ)の影響もあるような気が致します。
今の病状なら、24時間付き添ってやるべきなのですが、母と姉の通院の世話や私の子供の世話もあり、父には不安で寂しい思いをさせ、申し訳ないと思っています。MSコンチンをのみ始めてから、R先生がお書きくださったように、便秘気味になり、食欲は殆どなく、少し食べても吐いてしまったりしています。
肝心の痛みの方は、幾分減ったというのですが、動いたりガーゼ交換をしたりするとやはり痛むので、ベッドから降りる気にはなれないようです。
リンパ節転移がみつかった時は余命1-2年、肺転移の時は数ヶ月といわれたのですが、どういう状態でなのかはっきりしません。先生方の口ぶりからは、多分、最悪の場合ということだと、その時は思いました。
父は、遠隔転移はないと信じて、それだけを心の支えにしているので、どうしても肺転移のことを打ち明ける勇気がありません。でも、治療のためにはいつかは話さないといけないわけで・・・悩んでしまいます。
肺転移は、2月22日に撮ったX線写真では1個だけでしたが、この次撮るとたくさん個数が増えているかもしれないと言われました。せきがひどくなってくるとも聞いたので、少しでもせきをしていると、気になって仕方ありませんが、今はまだそんなに頻繁にはせきは出ていません。
父はもう40年以上前に肺結核を患い、一度再発もしたと聞いていますが、入院前々日の11月14日の写真には何も写ってなかったので、結核とは関係なく、転移巣にほぼ間違いないといわれました。
肺への放射線治療も可能だとのことですが、肺が線維化すると聞いたことがあるので心配なのですが。
肺以外への転移については、調べていないのでわからないのです。入院の際(11月16日)、骨シンチ、Gaシンチの検査もしましたが異常なしでした。でも、このシンチの検査ではリンパ節への転移などはわからなかったようですし、一体何のための検査だったのかという気がします。
骨盤の中の小線源治療など、もしこちらでも受けられて強い苦痛は伴わない治療があれば、受けさせてやりたいと思います。こちらの先生とご相談いただければ、非常にありがたいです。
昨日、主治医である皮膚科のN先生にR先生から頂いたメールを見て頂き、今回治療を担当して下さるという放射線科のH先生にも見て頂けるよう、お願いして参りました。
R先生がよろしくお伝えするようおっしゃったことも、書き添えておきました。
皮膚のない所への照射で良い結果を得られたこともあるとお聞きして、少し期待してみようと思えるようになりました。通常は行わないことでも、良い結果が出ることもあるとは、すばらしいことですね。きっと、R先生や諸先生方の持っておられるお力が発揮された成果なのだと思います。
ほんとうは、今すぐにでもR先生に診て頂いて治療して頂きたいところですが、なかなか叶わぬことで、残念に思います。でも、こうしてご相談できることにはほんとうに感謝しております。
実は、インターネットを利用して、今までに何人もの先生にご相談申し上げたのですが、あきらめるべきではないかというお返事がほとんどでした。あきらめなくてよかったと、改めて思います。
だらだらと長くなってしまってすみませんでした。きょうはこれにて失礼致します。
R先生より(14.4.2)
大変なご様子よくわかりました。
このメールは、そこまでお伺いしての、私の考える全てをお送りするものです。
放射線科の狭い領域をやや越えて、腫瘍医としてお話します。内容には常識と離れるものがあります。また問題解決のために主観的な表現があることをご了解ください。
お父様には強いストレスが加わっているようです。特に精神的に。病気の一連の結果として。自分の経験の中からは、安定剤は、ただ鎮静するだけで、問題の前向きな解決になりそうにありません。
あなたが、道を示してあげることが、錯乱からの解放になるでしょう。
道は、心配や恐怖、あるいはすがる思いでもありません。具体的な解決の方法と見通しです。
肺転移は数ヶ月以上大丈夫なことが多いです。数年の人もいます。肝癌の治療の場合は、予後を左右することが少ないので 放っていました。肺は大きいですから、呼吸困難などが来るとしても、ずっとあとのことです。その間にやることをやれます。
でも今は、我々は、効率的な放射線治療を行っています。1個や2個の転移、あるいは3個ぐらいを見つけると、担当の先生は、これならやっつけられると、ゴーストバスターのスタッフのように喜んで仕事(治療)をしてくれます。
私自身も2年ぐらい前から自身で担当した患者さんが何人かいます。皆さんお元気で、多分あなたと変わりません。
線維症は元の腫瘍のごく近くだけに認められますが、ちょうど小さな手術の後のようなものがCTで見つけられる状態です。
肺について、そんなに恐れる必要がないことがわかったら、次の心配に話を移しましょう。
結核の再燃:あなたの心配は、そのとおり、アメリカでは、大きな問題になっています。
腫瘍があり、免疫の力の低下した人では、結核の再燃がありえます。再燃すると、さらに力が落ちますので検査しておく方がよいでしょう。でも胸部写真でわかりますので、シロということであれば、安心していいです。痰の検査も必要なら簡単です。
ところでH先生は面識があります。お元気でしたか?学会で会うかもしれませんので、もし会えばあなたのこともお話しできるでしょう。○月○−○日は学会でここをあけます。急ぎのメールがあれば.***comにお願いします。
お尻の痛みの解決:放射線治療のことは前に話しました。あと、まだ大切なことがあります。
どうせ入院をもう少し続けるならば、麻酔科で持続硬膜外麻酔をしてもらえないか検討したでしょうか。かなりの率で痛みなしに持っていけます。
痛みはどうしようもないストレスで、傷の交換はしなければいけないのに、痛いので、と思うジレンマの克服に大切な精神力が磨り減ってしまいそうです。
ただ、持続なので“紐つき“です。紐からは自由になりたいのは誰しも願うところですから、一連の治療が終わって状態がよくなったあとも少し痛みがあれば、MSコンチンの内服に切り替えてよいでしょう。
あと、神経ブロックで疼痛を緩和する方法もたくさんあるので、硬膜外エタノールブロックとか、下腹神経ブロックとか、ペインクリニックの先生に適切な方法を聞くとよいでしょう。さしあたりいまは持続硬膜外麻酔でしょう。
ひょっとしてできない場所に腫瘍があるのでしょうか。その場合でもモルヒネの持続注入は、内服よりもやや吐き気などが少ないです。
詳しくはわかりませんが、あなたのメールにこれらが書かれていないことから、このあたりの対応が未着手のように感じました。
たいていの痛みはフリーにできるものなのです。
痛みから解放されると、精神力が復活して自分の方向性をつかむ人がほとんどなので、そうなると、あなたが代わりに心配してあげる必要も無くなるかもしれません。
方法がなく“翻弄されていた患者”が主体を取り戻すのはすばらしいことです。
そしてもっと自立していって医者のいうこともおいそれと聞かなくなるかもしれません。
(それが“父”であり、私が今のあなたなら、少なくともそれを取り戻したいと思っているでしょう。)
私の説明はまだすべての状況に対応できていないと思いますが、あなたの作業に役立ったなら、幸いです。
今度発表するお尻の治療で、調べると、7人の患者さんはすでに亡くなっており、統計的平均生存期間は放射線治療後3年3ヶ月でした。
一番心に響いたのは、4名が(邪魔者のいない)自宅で亡くなっていることでした。
あとの3人は、おうちのすぐ近くの気心の知れたクリニック(たいてい大事にしてくれますね)で亡くなっていました。
幸いなことに、痛みながら亡くなった方はいませんでした。
避けようのない終末でも、その終末を振り出しにして考え、治療やあり方を、みんなで考えていくことができれば、その中で最良の結果を選べるでしょう。
これからも○○様が最良の選択に恵まれるように心から祈ります。
また具体的にお役に立てることがあればおっしゃってください。
今までに誰ひとりとして話してくれなかった肺転移のことや神経ブロックのことを聞いて、初めて少し納得できた。腫瘍放射線科医であるR先生であるからこそ、ここまでのお話をして下さったのだろうか。 |
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R先生へ(14.4.7)
学会からお戻りになり、お忙しいことと存じます。腫瘍医としてのお立場からのメールを拝見しました。
早くお礼のメールをと思いながら、父の病状がはかばかしくなく、すっかり遅くなって申し訳ございません。
4月3日の朝、放射線科のH先生からいろいろとお話を伺いました。放射線治療や温熱療法、肺転移のことなど、治療室や装置を実際に見せていただいた上、非常に詳しく、しかもわかりやすくお話しくださいました。その際、R先生からのメールを参照されながら、お話をお進め下さいました。
肺転移については、R先生のおっしゃるとおりであるとお話しになりました。でも、今のところせきなどの症状がないので、放射線治療の適応はなく、症状が出てきたときに治療を検討するべきであるとの見解でした。
3年前にR先生にお会いになったとおっしゃっておられ、よろしくお伝えするようにとのことでした。
4月2日の夜に父が錯乱状態になってからきょうまでずっと続いている状態は、「せん妄」という状態であると、主治医の先生と精神科の先生から説明を受けました。原因として、1.MSコンチン、2.痴呆、3.激しい痛み、4.脳への転移や脳梗塞、などが考えられるそうですが、週明けにCTを撮るとのことです。
コンチンはきのうまでに1日10rまで減らしており、明日はゼロにしてレペタンの投与に切り替えることになりました。
痴呆については、長谷川式というテストをしたところ得点が13点で、明らかに痴呆の状態であると診断されました。痛みは、ガーゼ交換のときだけ少し感じる程度になっていたのですが、わけのわからぬ言動で周りの者は振り回され、困り果てています。
他の病室へ入って行ったり徘徊したり、痛みが取れた分楽に動けるようになったことが、皮肉にも、却って災いしています。
24時間目が離せず、この状態が続けば精神科の病棟へ移すこともあるようですが、止むを得ない気もしてきました。
R先生がお話し下さった神経ブロックについても主治医の先生にお願いしたのですが、副作用として排尿障害が起こる可能性が高く、自己導尿しなくてはならなくなるので、お尻が痛くて座れない父には無理ではないかということでした。やはり、ブロックできない場所に腫瘍があるということだと思います。
腫瘍はさらに拡がりつつあるらしく、そけい部と臀部にあったものが、つながった状態になっているそうです。父の1回目の手術のあと、硬膜外ブロックをしていただいたおかげで、全く痛みがなくて驚いたのですが、12年前に大腸癌の手術を受けた母が、術後しばらくひどく痛がっていたことを思うと、なんか信じられない気がいたしました。
今週も先週に引き続いてX線照射の治療があります。少しでも痛みと進行を抑えられたら、と願っています。避けられない終末を振り出しにして、最良の選択をしていくことが本人のためだ、と理解できるよう努力したいものです。
正直に申し上げると、せん妄状態になる前まで続けてきた民間療法(AHCCとサメ軟骨)があるのですが、続けることがかえって本人を苦しめることになるような気もしてきました。サメ軟骨で高カリウム血症が起こる可能性があるとか、そのためせん妄が起こることもあるとか書いてあったりしたもので・・・。
民間療法のことなど持ち出して、たいへん失礼しました。
いろいろ考えると、せん妄がなくなってもとの父に戻ってくれたらうれしい反面、本人はまた厳しい現実に直面して苦しむわけですから、なんとも複雑な気持ちです。
痛みから解放されて自宅で最期を迎えることができたら・・・いつか来る私自身の最期も含めて考えると・・・、素晴らしいことだと思います。
R先生。お目にかかったこともなく、離れたところにいらっしゃるのに、すぐ近くにいらっしゃるどのお医者様よりも身近に感じ、一番親身になって父の病気のことをお考え下さっていると思います。いつも、先生のメールを拝見すると、気丈な私も涙があふれて、画面が見えなくなってしまいます。
父がこんな病気にかかってしまったことは辛くてたまらないのですが、先生のような方にめぐり会えたことは、ほんとうにうれしくて、一生忘れることはありません。
お言葉に甘えて、またご相談させていただくことがあるかもしれませんが、どうかお許しください。
先生のますますのご活躍をお祈りしております。
ほんとうに、ありがとうございました。
診察を受けに行けなくなった以上、もうR先生に相談を持ちかけるのは遠慮しなくてはならないと思った。
毎日お忙しいはずなのに、父の病状が刻々と変わることもあって、いつもすぐにお返事を下さり、頭が下がる思いだった。これだけのお返事をすぐにくださるということが・・・しかも言葉をひとつひとつ選ばれて・・・どれだけ大変なことか・・・。感謝の気持ちをどうやって表せばいいのか、ことばも思いつかなかった。
R先生より(14.4.8)
H先生からもメールを頂きました。3年もたったのかと思いました。
別な問題が持ち上がってきていることがわかりました。少しだけ話をさせてください。
錯乱状態は、“せん妄”という程度(大きさ、激しさ)のものであることがわかりました。長谷川式というテストで13点で、明らかに痴呆の状態という“程度”の混乱か疲労に陥っておられるのもよくわかりました。
ただし “痴呆”は非人格的な診断名なので、私は使いません。情緒障害、知力障害、記銘力障害などと具体的に分けた方が納得できます。 (ひとでありたいときになぜにひとから遠ざけるような言い回しがあるのだろう?) 錯乱は“錯乱”でよいとおもいます。 痛みがうまく取れれば落ち着かれることでしょう。
モルヒネ、レペタンの使い始めでは“せん妄”や“痴呆”のような状態に陥ることがあり、うまく管理することが必要です。
痛み、苦しみ、不安を理性で解決できない(させてもらえない)状態が持続すると、精神の状態が悪くなることがあります。 気の小さなかたなら、いっそおかしくなったほうが楽なのかもしれませんが、その結果さみしくなるといけません。
老婆心かもしれませんが、家族は、決して狂ったという目でみないこと、痴呆という目で見ないこと、心のつながりを持ち続けること、非人格的な扱いをしないこと、家族であり続けることが大切です。
痛みは取れるということを確信してもらうことも必要です。たとえ医者がなんと言おうとです。人がその人の過去まで変えることはありえないのですから、家族の方が接点を失うことは絶対にありえません。(放棄することはあっても。) だれの味方かはっきり示すこと。無理して医者の味方にはならなくていいと思います。
AHCCとサメ軟骨:サメ軟骨はかなり大量に服用して初めて少し効果が出るようで、濃度の高いものでの治験もありました。調べたことがあります。
今は、お父さんにそれらの療法のでる幕はないようです。それよりもやはり、除痛と、精神状態の保全回復が最も重要でしょう。痛いと何も考えられなくなるのです。しばらくはこれを1番の目標にしてください。
“せん妄がなくなってもとの父に戻ってくれたらうれしい”――――もとのお父さんを見つけてください。今でもきっと見つかります。
それには…、私の主観的な意見ですが-----------私もかつて、精神分析だのいろいろ学びましたので---------“本人はまた厳しい現実に直面して苦しむ“---------もし、本人が死の問題を避けていたいのなら一緒にその”非・現実空間“にいらっしゃればいかがでしょう(意を決して飛び込むこと!)。
私たちの人生に現在や過去や未来の区別なんていりません。心が通い合うかどうかだけが全てで、昔話をしている二人がいまの話と思えばそれは真の現実です。 そして、もうひとつ、苦しみが来ることを信じないこと! この役割はとても医者(心配するのも仕事のうち)にはできない。家族を愛する家族の特権です。こんな美しいことは他にありません。
もし痛みが、死神のように本人に死の淵を見せようとするなら、死神ごと痛みを消してしまえば、世界は続きます。その世界がいつしかやわらかな現実と重なろうと。
よく問題になっている安楽死は、本当は、その先の、時空を越えた苦しみからの解放の哲学ですね。
“痛みから解放されて自宅で最期を迎えることができたら・・・いつか来る私自身の最期も含めて考えると・・・”、素晴らしいことだと思います。 全く同感です。 |
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5.自己決定権について(14.4.11/4.11) |
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R先生へ(14.4.11)
この度もまた、大変参考になるお話をしてくださって、ほんとうに感謝いたします。
父は、わずかながら(せん妄からの)回復の兆しが見え始めたのか、きのうから少しだけ落ち着いてきました。病棟の中を徘徊することが少なくなり、私が自分の娘であることがわかるようになりました。
病室の中では、相変わらず理解に苦しむこともやっていますが、会話の内容はともかく、普通に話せるようになってきました。
きのうは、AHCCとサメの軟骨を飲まなくてはならないので、また持ってくるようにと言っておりました。効き目はともかく、父の心の支えになっているようです。
痛みの方は、レペタンが効いているのかあまり感じないようで、とても助かります。ただ、私がいない間付き添ってくれている人の話では、朝目を覚ましたときが一番危ないようで、とんでもないことをやってしまいます。徐々に落ち着けばいいのですが・・・。
R先生がおっしゃるように、確かに“痴呆”というのは非人格的な、好ましくない言葉ですね。
実は、私の母はあまりにも物忘れがひどく、神経内科の先生に診ていただいたところ、脳に若干の萎縮がみられ、アルツハイマーの疑いがあるということで、アリセプトを服用しています。
この場合は“記銘力障害”であると理解すればいいということですね。母についても、どうしても以前の正常だったころを思い出して哀しくなったり、同じことを繰り返して言ってもわかってもらえなくて虚しさを感じたりしてしまいます。
心のつながりを持ち続け、家族であり続けることを忘れずにいられるよう、もっと温かい目を向けてやらなくてはと思います。父のことで手一杯だから、と言い訳する情けない自分自身を省みなくてはなりません。
無理して医師の味方にならなくてもいいとのことですが、患者の立場として、医師から言われたことに同意し、無理にでも納得しなければ治療してもらえないような雰囲気がやはりあると思います。特に大学病院などでは。
何でも聞いてくださいとおっしゃって下さる先生に出会うと、ほんとうにほっとします。
精神分析も学ばれたとのことですが・・・実は、大学では心理学を専攻しましたので、私も多少習ったはずなのに、ほとんどおぼえていないというのは、全くなさけなく、恥ずかしいことであるとつくづく思います。
動物実験とか、記憶や錯視に関する実験など、単純に喜んでやっていたような記憶がありますが、あまり哲学的に深く考察したりすることもせず・・・あっという間の4年間でした。
「死の問題を避けていたいのなら、非・現実空間に飛び込んでは」どうすればそれが可能か、いま考えています。
20代のころ、よくひとり旅をしましたが、それは、現実から離れた所に身を置くことの快さと寂しさを味わうためのものでした。
父自身はどうしたいのだろうと、ふと考えたりします。70歳を過ぎると、健康な人でも死に近付きつつあることを感じ、苦悩するものなのでしょうか。
余命宣告をした先生などは、本当のことを本人に話して身辺整理する時間をあげなくてはと(気軽に)おっしゃいましたが、その先生ご自身もしもそうなったとき、「じゃあ、身辺整理しよう。」と素直に思うことができるのだろうかと思ったりします。
死に瀕して、人間はどうなるのかなどと考えていると、今夜は朝まで起きていることになるかもしれません。
ただ、父が初めて癌の告知を受けた時私に言った言葉は、できる限り大切にしてやりたいと思っています。
「自分で、もうだめかもしれないと思うのと、誰かからもうだめだとはっきり言われるのとでは全然違う」と申しました。
母が12年前大腸癌を患ったとき、父が独りで黙って隠しとおしたことも、最近になって知りました。12年間の父の孤独な苦悩を思うと、なんともやり切れない思いです。
わけのわからないことをいっぱい書いてしまいました。読んで頂いて、先生の貴重なお時間を無駄にしてしまった気がします。申し訳ありませんでした。
R先生より(14.4.11)
回復の兆し、よかったですね。
今日はある患者さんの奥さんが言っていました。本人の世界の中に入っていって一緒に遊ぶのだと。
“AHCCとサメの軟骨を飲まなくてはならないので、また持ってくるように”とおっしゃるということは、こちらの世界にもしっかり窓が開けておられるので、コミュニケーションはそれほど大変ではないでしょう。
朝目を覚ましたときが一番危ないぐらいならば大丈夫です。徐々に落ち着くでしょう。よかったですね。
脳のCTやMRI上の萎縮があっても活発で聡明な老人はいくらでもいますよ。知り合いの院長のCTを診断するとき、私は放射線科ですから、所見には脳萎縮と書きますが、書かれた本人にはショックですが、次の瞬間、そうか、わしの脳はもともとそんなによかったのか、半分になってもなんともないな、お前(私)よりよく働いているぜ、なんて言っていますが。
たとえば、ある患者さんは、脳萎縮はまったくないですが、失禁などで困ることがありました。大切なことは、それを心の重荷にさせないことです。
心の重荷や罪悪感が、どんどん本人を塀のなかに追い込むのです。だから、家族が叱るのをやめさせました。
患者の立場として、医師から言われたことに同意し、無理にでも納得しなければ治療してもらえないような雰囲気!
これは本当にそうだと思います。
私は、あるときは、多分その雰囲気を少し利用させていただいて、患者さんや、家族の方の“教育”をします。 まずは無理にでも、医者の話を聞こうとしてくれるからです。
骨の折れることですが、治療の選択とは、どういうことか、患者の権利は何か、などなど。重要な治療の話はそのあとです。
そのあと、治療の種類や適応を聞いてもらい、選んでもらうようにしています。
今日は、診察室にお迎えした第一印象が、ちょっと横柄で傲慢な感じの、そして心配そうな患者さんに出会いました。 外科からの紹介患者さんでした。
彼の分裂した表情が語っていたのは、心配(弱い立場:治療してもらえないのでは?)、拒絶(強い立場:無理にでも納得してきたが、医師の強圧的な態度に対して人としてのプライドだけはあるぞ)でした。
あなたのおっしゃる通りの雰囲気に包まれていました。 これは、たいていの場合、その前に診た先生の落とした影です。
私にはその影、一瞬ですが、目の前のスクリーンの上に浮かび上がるのを見てしまいます。
そこから私の戦いが始まるのですが、それはさておき、患者さんにはそういう雰囲気には負けてほしくないです。
おとうさんのお言葉 “自分で、もうだめかもしれないと思うのと、誰かからもうだめだとはっきり言われるのとでは全然違う“、は、自己決定権が基本的人権の中心に位置していることをいっています。 とくに最期の“だめ”は他人に言われたくはありません。
あなたができることは(侵害されたかもしれない)お父さんの、自己決定権を守ることです。尊い人格を守ってあげることです。
お父さんは、(たぶん絶望の代名詞のように思っていた)大腸癌の病名をお母さんに告げないことで、お母さんの自己決定権を守ったということができると思います。
ところで“その先生ご自身もしもそうなったとき、「じゃあ、身辺整理しよう。」と素直に思うことができる”、と思いますよ。
また、患者さんに聞いたところでは、患者さんの大部分はすでに受け入れの準備ができていました。 |
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R先生へ(14.4.21)
父はとうとう、18日に精神科病棟へ転棟となりました。
回復の兆しが見えたと思ったのもつかの間、15日の夜からまたおかしくなり、精神科の先生により、もはやせん妄ではなく、痴呆の状態であると診断されました。
15日と16日だけ、いつも昼間付き添ってくれている人の都合で、別の人が来てくれたのですが、その人が、父が自分の好きなようにちらかしていたものを、きれいに片付けてしまったようです。
それだけが原因とはいえないかもしれませんが、自分の使っているものがいつもの場所にないもので、泥棒が入ったと思い込んだようです。そして、大事なものを隠そうと思ったのでしょう。前の日に私が持って行った新しい円座クッションを、なんと病室内のトイレの天井裏へ隠し、取れなくなってしまったのでした。
天井裏へ隠すためには、便器の縁に上がって点検口を開けなくてはならないのですが、そんなことができるほど痛みが取れているということは、喜ぶべきことなのかもしれません。
14日の夕方、窓の外を眺めて行きたそうにするので、看護婦さんと当直の先生に無理を言って、3ヶ月半ぶりに外へ出ました。
眩しそうに空を見上げるうれしそうな父の顔を見て、私もうれしくなりました。でも、それから外へ出たい気持ちに拍車がかかり、服を着て大きなカバンを掛けてエレベーターに乗ってしまったり、階段を降りようとしたりするので、制止するために、付き添いの家政婦さんと2人掛かりで3時間もの間悪戦苦闘したこともありました。
精神科がいけないというわけではないのですが、どの先生も父の所へ来られると必ず、「私は精神科の○○です。」と丁寧に(?)挨拶して下さるので、父は大変警戒していました。
もっと早く、癌の告知を受けた時に来て、精神面のケアをして欲しかったように思います。
家族に何の相談もなくいきなり本人に告知され、「眠れなかったら睡眠剤出しますよ。」の一言で済まされてしまったこと、有棘細胞癌の他への転移は100人に5人くらいだから多分心配ない、だから告知するのだと言われたのに、その5人の中に入ってしまったこと、進行は遅い癌だと言われたのに速いこと、1回目の手術前に、癌細胞は皮膚の表面だけで中の方は多分大丈夫と言われたのにそうではなかったこと・・・いろいろなことが改めて思い出されて、悔しいような、哀しいような気持ちです。
MSコンチン(モルヒネ)も、のみ始めて5日目で1日目の倍の量というのは、適正だったのだろうかという気さえしてきました。
放射線治療(X線)は予定の10回を15回に増やして行われ、あと1回で終わります。少しだけ効いて滲出液が少なくなったようですが、やめると元に戻るかもしれないし、癌細胞の増殖が速いので、放射線が当たってない所もあるそうです。
もう線量の限界だと言われましたが、素人考えで、X線以外の放射線ももう使えないのだろうかと疑問に思います。
鼠径部には、増殖した癌が表面に出てきて、潰瘍を形成しつつあります。見えない所にできる癌と違って、ものすごく残酷です。
もう何の手立てもないなら、AHCCとサメ軟骨で最後の戦いに打って出ようと思ったのですが、父本人は飲むのは無理で、私は、ストーマから浣腸できないかと考えています。しかしもしできても、今の精神状態が回復しないとなると、果たしてそれが父のためなのかどうなのか、と考え込まずにいられません。
精神科病棟というのは、(入ったことがないのであくまで想像ですが)多分刑務所と共通した部分があるのではないかと思います。人間として扱われていないような・・・。
看護士さんの目は鋭く、こわいです。昨日病室から出て、廊下を歩いたりナースステーションの前のソファーにしばらく座っていただけで、きょうはもうベッドから降りられないように薬を投与されてしまいました。
痛みのせいで半年以上座れなかったのが、やっと少しだけソファーなら座れるようになったので、父と並んでソファーに座り、ろれつが回らず聞き取れないのですが、適当に言葉を交わし、ほっとしたような父の顔を眺めておりました。
何と言っているのかわからなくても、わけのわからない行動をすることがあっても、やはり父は父であり、私はその娘なのだと改めて感じました。
R先生がおっしゃった、「家族であり続けること」とはどういうことか、少しだけわかってきたような気がします。
R先生より(14.4.21)
精神科入院は仕方ないですね。でも解決ではありません。これからです。
痛みは大分改善したようですね。
痴呆の状態であっても、痴呆ではありません。
勘違いでなく、真実の現れです。事実でなくとも。
円座クッションを隠したのは、 あなたが持ってきてくれたから大切なものなのです。
きっとあなたのことがそんなに好きなのです。家族であり続けています。そんな痛みぐらい…
“泥棒“は、実在しているではないですか。 あなたのメールにもそう書いている。(のでしょう?)
――― 泥棒は大切なものを奪うから。
――― 自分で棄てるつもりはなかったから。
――― きっと大切なものは誰かが盗んだに違いないから。
――― 私の大切なものを私が病気で忙しくしているとき、病気で寝ているときにこれ以上取られたくないから。
――― ああ、ついに身の回りの小物までなくなった。
――― やっぱり泥棒がいるのだ。
私があなたならなら、泥棒がいることを認めます。それは暗喩かもしれないが、真実の形として実在すると“父“にいいます。
共通の認識に立ったところで自分(たち、一人より二人)の身をまもる真実の方法(判断)を(一緒に)考えていくべきです。
時に私は、精神科の医師が、最も患者から遠い立場の業務のなかに住んでいるように思います。 私が精神科を選ばなかった理由です。
患者を理解したとしても、患者の立場に立とうとしないのではないか?
危機に陥った精神を、どうして、危機の解決をせずに抗不安薬や安定剤という“不活発化剤”だけを処方するのだろうか?
それがなぜそうなったか理解するには、精神科の歴史をみれば納得できるかもしれません。ちらっと案内しましょう。
精神科は、精神病といわれて、社会から疎外された人々が収容されるゲットー(ghetto;居住地(元ユダヤ人街:元ドイツで迫害されたユダヤの居住地のこと、アンネの日記読みましたか?)です。
その体質がいまだに抜けていないのです。ドイツの医学が入った日本の医療には、ユダヤ人精神医学者のフロイトやユングの流れを汲む精神分析医の居場所がありません。
精神分析こそが、患者の精神の問題を(安定剤なしに!)解決する方法なのです。
アメリカ映画では、ときどきかかりつけの精神科医(精神分析医)に電話をかけて相談するシーンがありますね。実際にはあなたのお父さんなどもよい適応ですが、あなたが理解し、彼岸にいるお父さんに心をゆるすことで乗り切れるでしょう。
“14日の夕方、窓の外を眺めて行きたそうにするので、看護婦さんと当直の先生に無理を言って、3ヶ月半ぶりに外へ出ました。
また連れて行ってください。一番、正しい方法です。周囲の事情があって、残念ながら、すぐには無理かもしれませんが。
それは本人と作戦会議を開いて決めればよいことです。あなたが、少しは頼りになる味方であるというあたりまでは、認識してもらう必要があるように思います。
“3ヶ月半ぶりに外へ出ました。それから外へ出たい気持ちに拍車”
どうなんでしょう。 よくわからないのですが。
本当に、精神科にいる必要があるのですか。それは入院しているならば精神科しかないということかしら?
まだ入院の根拠があるのでしょうか。
“
“精神面のケア”:
1. 説明や告知を望むか望まないかは、本人が決めます。決めた以上は本人にも責任があります。
望んだ場合にそれに応じて医師が説明をする義務は、日本では今のところ判例によるとありません(しなくていい理由が山ほどついてまわる。これは日本だけ。米国では義務に反すると罪)。
2. 私も(主治医がどう言おうが本人が望めば)どんどん告知しますが、説明や告知を望まない人には、約束を守って本当に何も言いません。
いずれの場合でも家族に相談する必要は法律上ではありません。
しかし、私の場合は病気の治療上家族の協力が有効な場合は、本人に承諾を得て本人の指定する家族に、本人の許可を得た範囲で相談することが多いです。
巷で多いように、こっそり家族を呼ぶことはしません(すると米国では違法行為です)。その(本人の主権を守った行為の)ために、家族に恨まれたり家族と敵対することがあります(このときは潜在する利害関係がしばしばあります)が、そのときは、もちろん本人はこちらの味方ですが、本人が自分の主権を家族に主張するか、あるいは主権を譲り家族の言いなりになるかすると、問題(家族が医師に敵対するという)は消失します。
中には家族が本人の主権を認めないような家庭では、本人は、自分に告知したのを内緒にしてほしいということもありますが、そういった場合でもきちんと解決する方法はあるのです。この場合ですと、私は、必要なら家族を教育することを、本人に約束します。
3. 自己の存在を脅かすかもしれない病気の存在の告知の可能性がある場合、その前に、精神科的な告知受容の4つの段階の説明をします。
混乱、葛藤、あきらめ、平穏のような形で移行する時期が、その人やリードのしかたによりますが、ひと月ぐらいかかります。私は、それを管理(あなたのいうケア)する人が必要と考えています。そのあいだにも病気の治療を進めねばなりません。
告知受容に4つの段階があること、時間がかかることの説明を受けるだけで、たいていの患者さんの頭のなかで、告知受容のプロセスが整理されてしまいます。
誰だって人前でプライドを崩したくない。めいめいのスタイルで、ペースで、崩れず、ゆっくり、完全に、毅然として、この問題を整理するのです。ここはもうひとつの真剣勝負です。
患者の横で見ている医師として、患者が、実は、高邁な人格の持ち主で、自分など足元にも及ばないことを知るときのひとつは、このときです。
4. その上で必要ならば、腫瘍精神医に相談します。いや、この学問は日本では2つぐらいの施設にしかなくしかも臨床部門としては正常に機能していません。ですから、この4はできません。でも、実在します。それほど、我々の世の中のシステムは(世界では)遅れているのです。だれのせいですか。
前に、ある考え方では、現在、未来、過去の区別に意味がなく、全体で、やっぱり、大切な人は大切な人であるといったようなことを書いたように思います。
家族であり続ける根拠がそこにあるのですが。
そして、もうひとつ、あなたに理解してほしいのは、 ―――― いつも、上からモノを言うようで申し訳ありません。横から言っているとお考えください。
“本人の認識は決して間違いではない。しかしそれが真実であって事実でないときもある。事実でないときは認識は暗喩を直感している。その認識に基づく限り、本人の行動は了解可能である。周囲からの抑圧(周囲への遠慮(譲歩))があれば、認識をして直接的な明示でなく、暗喩の形をとらしめる。”
精神科的な告知受容の4つの段階があるということを、初めて知った。人間は、一定のプロセスと時間を経て、重大な告知も受容できるのだろうか。
(一番最後の部分は、どういう意味なのかよくわからなかった。) |
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R先生へ(14.5.1)
父は、精神科病棟で6日間過ごしただけで、またもとの皮膚科病棟へ戻されました。
転棟4日目から少しまともなことを言うようになり、「どうしてこんな所(精神科)にいるのか」と申しました。誰も精神科病棟だと教えないのにどうしてわかったのかと聞くと、先生や看護婦(士)さんの自分を見る「目」でわかったとのことでした。狂っているのではないかという疑いを持った、独特の目だと言うのです。精神科においては、患者は薬でコントロールされるロボットなのだという感じがします。
これが「治療」といえるのだろうかと思います。ベッドからおりて徘徊できないように安定剤を打たれると、ますます精神状態が悪くなるのが素人にもわかります。ですから、看護婦さんが持ってきた安定剤を、こっそり捨ててくれた家政婦さんもいました。
精神科の医師が、最も患者から遠い立場の業務のなかに住んでいるように思いますというR先生のお言葉が、なんとなく理解できるような気がします。
「精神病といわれて、社会から疎外された人々が収容されるゲットー」であるとは露知らず、病める心を癒してくれる何かを精神科の先生は与えてくれるものと思っていました。
今回精神科へ移された一番大きな理由は、他の患者さんの迷惑になるからということであったはずです。
私が何より辛かったのは、病棟婦長のすがるような目でした。婦長は、患者の家族にとっては、主治医の次に頼りにしたい人ですから、少々のことには動じず、常にゆったりと構えていて欲しいのですが、廊下で目が合うと、ほんとうに困り果てた表情で「どうしよう・・・。困ったなあ。」と言うので、困惑しておりました。
この方も、父が精神科へ移るときは、喜々として先頭に立たれていました。病院に迷惑を掛けているのはわかっているのですが。
皮膚科病棟へ戻ってきょうで8日目です。ベッドからおりられない(おりさせてくれない?)状態が続いていたのですが、おととい急に、どうしても家に帰ると言って何度かエレベーターに乗ろうとしました。一度連れて帰って一晩でも外泊させてやりたいところですが、きのうから不整脈がでているとかで、心電図をつけています。
心臓に(器質的な)問題があると、サメの軟骨も使えないそうですから、ストーマから浣腸するのは無理だということになります。
癌の進行も大腿部にまで及んでおりますし、鼠径部近くに太い血管があって、そこへ浸潤したら大出血して、止められないこともあるので覚悟はしておいて欲しいと言われています。ペプレオマイシンの筋注も勧められましたが、肺線維症が高い確率で起こると言われては、断るしかありません。
近藤 誠氏の「患者よがんと闘うな」を読んだとき、その内容をどう受け止めるべきか戸惑いましたが、結局、苦しい闘いの末諦めることになるのだと認めるしかありません。わかっていても、ずっと認めたくなかったというのが本音ですが。
もともと心臓は強かった父ですが、今度こそはもう・・・ひしひしと迫り来るものを感じます。
R先生より(14.5.1)
とりあえず、ゲットーから出所できてよかったです。おめでとうございます。
“すがる婦長”、あちこちにいます。
もっと悪い、意地悪をする事務員や、権力を振り回す人間もたくさんいます。
戦いのない日はありません。
でも、そういう人も人なのですから、潰すようなことはできません。話せばわかることもだめなこともあり、戦地でケアをする赤十字の看護婦のような気持ちになることがあります。
弱い人が強くなってくれると、ほっとします。
患者さんが自分で治る力を発揮するためには、自己決定権が完全でなければいけません。
自己決定権を蝕むのは、保身的な“すがる”目であったり、いろいろ経験されたことでしょう。
これからも遠慮なく、自己決定権を奪回することを強くお勧めします。
さて
どんな不整脈でしょうか?
不整脈には2種類あり、怖くないのは、ほとんど問題ないです。
さて、どんなでしょう?
ストレスがあったから、出たのでしょうか?
肝心の腫瘍はどうなのですか。
デジカメ写真添付できませんか?なんでこれを早く言わなかったんだろう?
結局、何グレイを何回、どのくらいの時間間隔で照射されたのだろう。
痛みは?
ペプレオマイシンの筋注もいいかも知れない。でも話に聞く範囲ではちょっと腫瘍が大き過ぎて、それだけでは効果が十分ではなさそうですね。
いま、露出した大きな腫瘍で、ちょうど似たような状態の方の治療をしています。
近藤誠も私と同じ放射線治療医です。いろいろ話をしたこともあります。彼は慶応で今でも外来をしているはずです。
温厚なやさしい先生です。彼は、癌に対する無責任な治療が、メリットもないのに(同意も不十分なまま)、ずるずる行われている状況に対して、怒ったのです。(彼のおかげで)今はすこし変わったと感じます。
さて、損得見分けてうまく立ち回るのが危機的状況の対処術であることには変わりないように思います。
頼りそうになっても、頼らないところを持っていて(隠して)しかるべきでしょう。
本当に頼るところは、家族や愛する人の心であるべきでしょう。
たとえその人が誰かに“精神病“と言われても気にすることすらありません。
5月になりました。 |
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R先生へ(14.5.4)
一昨日の夕方、主治医の先生から呼び出しがあり、病院で話を聞いてきました。
緩和ケア室のカウンセラーだという人も来ていたので、これは何か特別なことを言われるのだなと思いました(この人が姿を現すと、いつもそうです)。
まず、父の今の状態について、次のような説明がありました。
1.不整脈は、高齢であることと脱水によるものではないかと思われる。内服薬で治療を始めている。本人に自覚症状はなく、重篤なものではない。
2.右肺底部の転移巣は、2月22日に1pだったものが、4月22日のレントゲンでは2p位の大きさになっている。
(2月22日には、1.5×2.0pと言われていたはずですが・・・)
3.左肺に、ブレオマイシンの軟膏の副作用によるものと思われる線維化が見られる。ブレオマイシンは既に中止しており、本人に自覚症状はない。
4.放射線は、600万ボルトのX線を30グレイ(総量でしょうか)、週に5日、全部で15回照射した。潰瘍の大きさは3分の2位になり、浸出液とにおいが減少した。痛みについては、レペタンの内服と両方の効果で減少したのかどうかははっきりしないが、効果はあった
希望があればまだ照射は可能だが、照射部位の皮膚が薄く、びらんを起こしていることと、新たに腫瘍が拡がった所に照射しても、またその先に拡がっていくであろうことを考えると、必ずしも勧められるものではない。
5.今の精神状態が改善されて元に戻るとは考えにくい。
そして最後に、もうこの病院でできる治療はないので転院して欲しいと言われました。
ここは特定機能病院であり、ベッドの空きを待っている人もいるからということです。いつかは言われるだろうと思っていましたが。
最近、ホスピスの病棟を新設した民間の病院もあるので、どこか紹介してくれるそうです。
とうとう見放されてしまったのだと思う一方で、ゆっくり過ごせる病院の方がいいのかもしれないという気もしますが・・・やはり、死に場所へ行きなさいということですから、たどるべき道だとわかっていても、なかなか割り切れない思いです。これが現実なのでしょうが、気持ちの上で受け入れるのには、私の場合時間がかかりそうです。
あんなに家に帰りたがっているのに帰らせてやれなくて、かわいそうで、申し訳なくて・・・これまで私のことを大切に育ててくれたたったひとりの父親なのに、私は何もしてやれない・・・。
患部の写真のことですが、ガーゼ交換の時に撮ろうと思って主治医に話したところ、難色を示されました。若い女の先生なのですが、「セカンド・オピニオンといっても、診察も受けないで写真だけ見せて、いったいどんな意見が聞けるのですか」、と不愉快な表情でした。
3月末に前の主治医の先生が転勤し、今度の主治医の先生には、まだ1ヶ月だけしかお世話になってないのですが、一生懸命やってくれているのはよくわかっているつもりです。それでも、休日のガーゼ交換は午前中だと言うので、昨日朝から待っていたのですが・・・来ませんでした。
たまたま来られなかったのかもしれませんが。患者は、病院のものなのだろうか、検体のようなものなのだろうかと思います。
そんなわけで、せっかく先生が写真をご覧下さるとおっしゃってくださったのに、今は無理なようです。申し訳ありません。
地元の新聞に掲載されていた、この病院の院長先生のお話の中では、セカンドオピニオン、サードオピニオンを聞くことも大切だ、とありましたし、放射線科のH先生などは、多くの先生の意見を聞いて、しっかり勉強して下さいとおっしゃって下さったのですが。
先生によって、考え方が違うということなのでしょう。
これまでに読んだ癌に関する本を改めて見ていたら、△大名誉教授の□□先生が書かれたハイパーサーミアの本に、大きな腫瘍は温まりやすいので効果があると書かれているのが目に留まりましたが、実際に□□先生にメールをお出ししたら、皮膚癌でそこまで進んだものについてはよくわからないと言われたのを思い出しました。
自分なりにいろいろ調べたつもりですが、そもそも癌が治せる日は来るのだろうかと思います。私もこの先癌になるのではないかと思い、父の姿につい自分の姿を重ねて見てしまいます。
父は日増しに食欲が落ちて、点滴をするようになりました。顔を見るのが辛いのですが、きょうも行って来ます。
R先生より(14.5.6)
さて、いよいよ転院になりそうな気配ですね。
30グレイである程度の効果があればもっと照射すれば効果が期待できるようにも思います。潰瘍の大きさは3分の2位になり、浸出液とにおいが減少したというのはよいことですね。ただ、すぐにまた大きくなり始めるかもしれません。
肺の腫瘍の大きさは急激には変化がないようですね。まだ、肺内転移は治癒させられます。
写真、残念です。肖像権は患者にありますので、患者の意思に反してもし撮影が妨害されているならば主権を侵害されています。
?人権はないのですか?
セカンドオピニオンに難色を示すかたがいらっしゃるのも問題ですね。私なら、正式な紹介状なしに自分の患者さんの治療に知恵をだしてくれる奇特なお医者さんがいるなら願ってもないことなのですが。
(あなたのメールを拝見していると、そんな扱いばかり受けているので、私まで非常に悔しくなります。そういう扱いは受けたくないですね)
特定機能病院でできることはここまでと言われてしまうと、仕方ないですね。
お手上げと言っているのですから。
いよいよ進むも退くもあなたとおとうさんのご決断です。
―――――――――ところでーーーーーーーーー
一番最初のとき
あなたは効く治療があれば、連れておいでになられるおつもりで、我々の大学にメールをお出しになったのでしょう?
潰瘍の大きさは何センチありますか?
周囲の硬いところは何センチありますか?
周囲の赤いところは何センチありますか?
およその絵がかけますか?
浸出液はどのくらい出ますか?(ガーゼ何枚とか何センチどの程度)
さしつかえなければお教えください。
――――――――――――――
ハイパーサーミアは潰瘍部分には使いにくいです。傷の修復も遅れますので、デメリットが大きいです。 |
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R先生へ(14.5.19)
連休中、転院の話が出たかと思ったら、5月4日には延命措置をどうするかなどという話になり、めまぐるしい変化に戸惑う日々です。
5月3日の午後父の病室を訪れると、父は夜中に、付き添いの家政婦さんが気づかぬうちに、点滴台を引っ張ってトイレに行ったので、これは危険だということで、どうもまた強い精神安定剤を投与されたようでした。
自分で行けたのですからいいことだと思うのですが、やはり、前みたいに徘徊したり大声を出されては大変だと思われているのです。ウィンタミンという強い安定剤なのですが、これが不整脈の大きな原因になっているような気がしてなりません。
翌日の朝、主治医の先生からあわてた様子で電話があり、また不整脈がひどくなって心不全を起こしかねないとのことでした。
急いで病院へ行くと、父はほとんど眠った状態でした。いざというときの延命措置は?と聞かれ、多分父の意識がはっきりしていたら要らないというだろうと思って断りました。
現実の問題として、いざというとき父名義の預貯金は引き出せなくなるので、必要となる費用に充てる現金を用意し、父が途中まで進めていた父所有の土地売却の契約書にも、捺印しました(売却の意思は確認できていたので)。
もう転院どころではなくなり、親戚はみんな県外にいるので急いで連絡しました。父からは絶対に知らせるなと言われていましたが。
そして5月5日の朝、知人の紹介で無理を言って遠方から来てもらった家政婦さんの「Oさん」がやって来ました。
1ヶ月待ってやっと来てもらったのですが、手厚い看病をしてくれる上に、なんといっても多くの病人を見てきた人ですから、知識も経験も豊富で、いろいろと助けられています。
Oさんは、眠った状態になった父を見て(私は、体力が落ちてこうなったと主治医から説明を受けていましたが)、安定剤をやめたら目が覚めて食事もできるようになるのではないかと言うので、主治医に相談してウィンタミンをやめてもらいました。
一旦出た薬は、たとえ不必要になっても、黙っていたらいつまでも出てくるようです。
2日たって、父は目が覚めて、食事を「噛んで」食べられるようになりました。ちょっと飲み込みにくいので、結局今は「初期の離乳食」と同じようなものを出されていますが。
心臓の方は、レントゲンでも心エコーでも異常はなく、ただ心拍のリズムがうまく作れないということです。器質的な問題がなければサメ軟骨も使えるのではないかと思って、ある薬局に相談したら、大丈夫なようなので、飲む量がごく少量で済む液体のものを飲ませることにしました。
AHCCも、Oさんの協力が得られて、少量ながら再開しました。Oさんはご主人を55歳の若さで癌で亡くされたそうで、私の気持ちをよくわかってくれます。
今の段階になってまだ諦めないのかとあきれる人もいるかもしれませんが、私は、最後の最後まで、その瞬間まで、絶対に諦めません。なぜなら、父は生きているのです。
学生時代、音楽療法に興味を持ち、文献を集めたことがありますが、国内のものはあまりありませんでした。最近でこそ話題になっていますが、アメリカと比べると30〜40年は遅れているようです。
今、ときどき父に音楽を聞かせています。父がピアノで練習していたビートルズのナンバーや、ピアノ演奏の童謡などです。
童謡は、CDに合わせて、わたしが下手な歌を歌います。
音楽が少しでも父の心を開き、和ませてくれたらと願っています。高齢者の精神障害に奏効したという報告もあるそうなので。
そんなこんなでいろいろありましたが、結局来週末あたり、転院ということになりました。転院先は、皮肉にも、皮膚癌であることに気づいてくれなかった自宅近くの病院です。死んでも行くまいと思っていたのですが、なかなか受け入れ先がないので、止むを得ません。
ところで、父の臀部の潰瘍の絵を描いてみたのですが、下手なもので、どのくらい先生にご理解いただけるかわかりません。
実際に、放射線治療が全部終わってから見たことがなかったのですが、おとといたまたまガーゼ交換に来たところに居合わせて、少しだけ見ることができました。確かに、潰瘍が縮小していて、表面も少しきれいになっていたので驚きました。
でも、4月29日に見たとき大腿部が数カ所赤黒くなっていたのですが、それが大きく突出していたので、悲しくて悔しくてたまりませんでした。
潰瘍の周囲の固いところが何pなのか、はっきりしません。赤い所もよくわからなくて、床ずれのようになっているので、潰瘍の周囲が黒ずんでいます。
一度に使うガーゼは、30p四方のものを4つ折りで5枚重ねにして4組で20枚です。ガーゼがぐっしょり濡れるほどの浸出液は出ていません。放射線を照射する前よりかなり減っています。
希望があれば放射線治療はまだできるということだったのですが、照射していないところへ拡がっていくのは止められないと言われたので、今回は断念しました。
でも、肺の転移巣のこともあるので、肺内転移は治癒させられるというR先生のお言葉を忘れず、治療を受ける機会を逃さぬようにしたいと思っています。
サメ軟骨とAHCCが効いてくれるよう、今は祈るのみです。効くという確信がもてたらいいのですが・・・。(心の支えに過ぎないと言われても否めないのは事実です。)
追伸 患部画像はgif,jpeg以上2種類添付しています。
R先生より(14.5.20)
絵のほうよくわかりました。ありがとうございます。 患者さんの状態によって、やはりもっと照射したかも知れません。太ももの他のところにも当てたでしょう。
縮小してよかったですが、今後増大しそうです。
H先生は、診察された上で無理のない御方針を立てられたと思います。
患者さんの状態や状況、施設の考え方によって方針はいろいろで、どれがいけないものでもありません。
“眠った状態になった父を見て(私は、体力が落ちてこうなったと主治医から説明されていましたが)、主治医に相談してウィンタミンをやめてもらいました。”は勇気あるご英断です。 Oさんは本当に力になってくださったのですね。
大変苦労されたご様子は、私まで悔しくなってきます。
どうも、管理する側は自分のためだけを考えて管理するのがこの国のやり方のようです。江戸時代から続くお上のシステムはまだ健在で、日本の後進性のもとになっているという内容が、数日前朝日新聞の投稿の論壇にありました(新潟大学脳研究所の所長だったか院長だったか忘れました)。
論者は、そのような中で遅れてしまった日本の医療のレベルの低さを指摘していました。
実はそれが我々の現実なんだなと、こちら(大学内)でも痛感します。実は中はもっと凄まじいです。のびのびした医療ができるわけがありません。
患者さんのための医療ではなく、お上がのさばり弱いものは辛抱せよというシステムのような気がしてなりません。
もしメールが残っているなら、出版されてはいかがでしょうか。
ところで、どんな不整脈でしょう。本当に心不全になるのでしょうか。
転院先でいい医療が受けられるようにお祈りします。
R先生は、現代の日本の医療が抱える問題点についても言及されている。ほんとうに患者のための医療が実現される日は、来るのだろうか。 |
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R先生へ(14.5.26)
あまりうまく描けていない絵をご覧くださり、どうもありがとうございました。
放射線を、先生がおっしゃるように太ももの方にも照射すれば、とりあえずその部分は縮小して、進行を抑えることができるのですね。
副作用のこともありますが、線量の限界までそれを行うこともできるということだと理解しております。父が奇跡的に持ち直したら、また放射線治療を受けさせてやりたいと思います。
管理する側のための医療しか行われていないのが現実であるとは、ほんとうに困ったことです。今回の父の入院で、いやというほど感じました。日本の医療の後進性の原因がこんなところにもあるとは・・・。図書館へ出かけた折にでも、先生がご覧になった論壇を私もぜひ読ませていただこうと思います。
出版云々とは私のような者には無理だと思いますが、いつかホームページにはこの度のいろいろな思いを書きたいと思っています。ホームページを立ち上げるのはいつになるかわかりませんが。
そのときは、先生からのメールの掲載についても改めてお願いしたいと思っております。今こうやって闘病(大げさですが)できるのは、先生のお力のお陰で、先生からいただいたたくさんのお言葉なくして語れるものではありません。
もしも先生にめぐり会うことがなかったら、とっくに私自身が寝込んでしまって、父と共倒れになっていたことと思います。本当に感謝しております。
いつも、先生へのメールを一度に書き切れず、少し書いて保存しておくと、翌日には父の病状が大きく変わり、また書き直す、ということがこのところ続いております。
実は、転院の話は土壇場でキャンセルとなりました。
昨日の14時に、○病院(転院先)の車が迎えに来てくれる予定でした。でも、転院OKの返事をもらったあとで病状が重くなり、5月20日から酸素吸入、5月22日の夜約20秒間呼吸停止となって、鼻から胃へチューブを入れ、5月23日には左肺に水が溜まっていることがわかりました。
これはもしかすると・・・と思ったのですが、すべて退院の手続きを済ませて待っていると、案の定、転院先から断ってきたという連絡がありました。正直言って、こんな重い状態で転院というのはひど過ぎる、人命を守るはずの病院がよくもこんなことを、と思っていたので、ずっとここに置いて頂けることになり、ほっとしています。居心地はよくないかもしれませんが。
22日の呼吸停止は、実はどうして起こったのかはっきりしないのです。その夜家政婦のOさんは休息の為自宅へ帰り、私は21日の夜泊まったので、代わりに姉が付き添っていました。
主治医の説明では、痰を吸引中に突然止まったということでしたが、姉の話では、看護婦さんが、薬を卵豆腐に混ぜてのませようとしたら、むせてしまって卵豆腐がのどに詰まったということでした。
不慣れな姉に代わって、看護婦さんがのませてくれたのですが、姉の話がほんとうだとしたら、いくら柔らかいといっても、殆ど眠った状態の父の口の中へ、細かく砕かないで形があるままの食べ物を入れたのはまずかったと思います。
薬も食事も飲み込みにくくなってきたので、胃へチューブを入れましょうと勧められていたのですが、食べる楽しみまで奪ってはかわいそうだと思って、ずっと断っていたので、なるべくしてなったということになるのかもしれません。
すぐに、胃へチューブを入れることへの同意を求める電話があり、私も病院へ駆けつけました。だいたい、何かことが起こるのは夜なので、今こうしているうちにも電話が鳴るのではないかと、はらはらします。
不整脈は、胃にチューブを入れて薬が確実に入るようになってからは落ち着きましたが、脈がときどきとぶようで、ずっと抗不整脈剤をのんでいます。
脈拍が150くらいになると看護婦さんが薬を持ってとんできます。のめば100くらいになります。
心臓の動きが悪いと血栓を形成しやすくなるので、ほんとうはワーファリンという血栓を溶かす薬をのむ必要があるそうですが、大腿部の潰瘍に出血しているところがあるので、のめないそうです。
心臓の動きが薬でコントロールできなくなると心不全の危険性が出てくるし、血栓でどこかが梗塞を起こすと危険な状態になるという説明も受けています。
それから、半月以上前から熱(37度台後半から38度台)が出ていて、21日になってやっと36度台のときもあるようになりました。多分「腫瘍熱」でしょう、と主治医からは言われていますが、癌細胞は熱に弱いので発熱は好都合だ(?)などと何かで読んだ記憶があります(ほんとうのところはどうなのか知りませんが)。
ところで、肺に水が溜まるというのは、かなり深刻なことと受け止めています。このところ、毎日父をみるたびに苦しさが増しているような気がします。水が溜まると、呼吸困難などさらなる苦痛が待ち受けているということなのでしょうか。自分で痰が出せないので、いつもゴロゴロと音がして苦しそうですし、吸引しても取れません。
いろいろな検査をしたところ、肝臓や腎臓は全く正常で、今後の予測はできないといわれています。
最後まで諦めたくないと思うことが、苦痛を延ばすだけの延命を望むことになってしまってはいないか、自分でもよくわからなくなってきました。
R先生より(14.5.26)
絵はわかりやすかったです。
22日の呼吸停止:窒息は危なかったですね。
軽い意識障害で、経口摂取が危険な場合は、十分な注意事項や予想される事態を説明したあと、家族の判断によって、経口摂取を続けることがあります。このとき、責任の所在を明らかにしておきます。看護婦は、その上で処置を行います。
打ち合わせをしっかりしないでやると、しばしば大きなトラブルのもとになります。家族や本人の自己決定権が非常に重要です。
決死の転院のようなことがあります。動かせない場合でも、いろいろな事情:特定機能病院だとか、ここは治療を受ける人のための病院だから空けなければいけないとかの理由で、お上のそういう方針によって、あと、無責任な、“方針厳守命令”によって、弱いところにしわ寄せがきます。
下手に患者を守ろうとすると、自分の身が危なくなるのはこの世界の常識です。そこに研修医なんかが舵取りにへまをすると決死の転院が生じる。それはひどいものです。特定機能不全病院です。
病院の上から下までひとりひとりの職員が、優しさをもって理解する気持ちになれば、本来の特定機能病院の役割が発揮できるのに。問題は、そういった教育が行われてこなかった日本。そうなっては患者もスタッフもここでは自分の身を助けるのは、自分自身の努力しかあてにできません。
確立の高い危機とそうでない危機を見分けていければいいのですが。
熱は腫瘍熱かもしれません。心臓がどこまで弱いのかわかりません。伝え聞く受け持ちの先生の話が漠然として、残念ながらその根拠のところがあまり見えてきません。
受け持ちの先生は、何か常套手段的な予防線を言葉で張っているようにも思えますが、データや、それに見合う治療などが行われているかどうかで、ある程度は、本当に可能性の高いことか、単なる予防線かもしれないか、区別することができるでしょう。
痰のからむ方が危険度が高いのだろうか? 聞いてみるのが早いです。
なぜ、そんなに痰がからむのだろう? 意識障害の問題が大きいのだろうか。
胸の水の量はどうでしょうか? 大変な影響が出る量なのかどうか。
がんばってください。応援いたします。
がんばれなどという言葉は大嫌いだけれど、このときの先生の最後のひとことは、とてもうれしかった。決して私は孤立無援ではないと感じた。 |
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R先生へ(14.6.7)
先生にはほんとうにいろいろとお世話になりましたが、父は、5月27日月曜日の朝、とうとう永眠致しました。
亡くなる前日26日の午後父のところへ行くと、それまで鼻から酸素を吸っていたのが、酸素マスクに変わっていました。呼吸はいっそう苦しそうで、眠っていました。付き添ってくれているOさんの話では、目が覚めているとき、口の中をきれいにするから・・というと、じっと口をあけているそうで、こちらの言うことは理解できるようですが、自分から声を出したりすることはできないようでした。
癌の場合、最後まで意識があると聞いていますが、父の場合も「意識がある」と言えたのかもしれません。25日にお見舞いにきてくれた教え子(父は高校の教師でした)の方には、大きな声を出したり笑ったり、手を動かしたりして応えていたそうです。
あまりに苦しそうだったし酸素マスクをはずすわけにはいかないので、サメ軟骨をのませるのは断念しました。鼻のチューブから入れていた流動食も、吐いてしまうので中止していました。
Oさんが言いにくそうに「これはもう・・・。」と言うので、その夜はずっと付いていたかったのですが、家族への気兼ねがあり、やむを得ず帰宅して、服のまま寝ました。
病院から連絡があったのは、翌朝27日の7時15分でした。血圧が下がってしまっている、と言われたように思うのですが、実は、動転してしまって看護婦さんの声がはっきり聞き取れませんでした。
渋滞にかかって8時過ぎにやっと父の所へ着いたのですが、既に下顎呼吸の状態でした。
夜中の3時頃、それまでいびきをかいていたのが急に静かになったのでOさんが看護婦さんを呼ぶと、血圧が下がり、5時過ぎには体温が35度に下がり、尿量も減ってきたということです。
早く家族に連絡を、とOさんが看護婦さんに言ってくれたそうなのに、先生に聞いてからだと言って相手にしてもらえなかったそうです。
一旦先生と看護婦さんが部屋から出たので、やっと父のそばへ行けました。痰がからんでゴロゴロいっていて、口の中からも見えたので、吸引しても大丈夫だろうかと思いながらしてもらったら、心拍が60あったのが30−40になり、あっという間にゼロになってしまいました。
母と姉がまだ来てなかったので、予めお願いしてあったように、心臓マッサージをして頂きました。8時半を過ぎてやっと二人が到着し、数分後、先生が同意を求めるような目で私の方を見たので、私も黙って大きく頷きました。死亡確認は8時38分でした。
お通夜、お葬式とばたばた過ぎましたが、今でもまだ父の死が信じられない、信じたくない気持ちです。私に他に家族がなければ、父と一緒に行ってしまいたいとさえ思いました。
わずか半年の闘病生活でしたが、私に心配を掛けまいとして、極力弱音を吐かず、辛い治療や激しい痛みにも耐え、結局は助からなかったわけで、これしか道はなかったのだろうかと思ったりします。
今の癌治療は手術偏重主義だとも聞いたことがあります。
リンパ節に転移がみつかったとき、父と私は郭清手術か放射線治療かで悩みました。お医者様の意見もそうでしたが、摘ってしまえば安心だと思って手術を選びました。そのあと植皮手術が成功したら一旦退院するつもりだったのですが、あっという間に再発して、無言の帰宅となってしまいました。
高校時代の同級生が麻酔科にいて、手術は免疫力も下げるからただやればいいというものではないと言ってくれたこともありました。手術で原発巣を摘ったために転移巣が活発化したということもあるとか・・・?
父が放射線科の先生の意見を聞きたいと申し出たのに、こちらが依頼すればそのとおりやってくれるから必要ないと言われたこともありました。放射線科のお医者様こそ、最も癌の治療に精通していらっしゃることに、後になって気づきました。
大学病院という所は横の繋がりを嫌うのか、人口肛門の具合が悪くても消化器の先生は呼んでくれないし、父は亡くなる半月以上前からずっと便秘で薬を使っても出ないのに放置されて、おなかがパンパンに張ったまま死んでしまいました。
後から考えても仕方がないことを、ついいろいろと考えてしまいます。
お葬式に、4 | | |